はけの森美術館

 今回の所蔵作品展のテーマは「花」です。
 戦後、小金井に移り住んでから「花を描く」ことは中村研一のライフワークの一つになりました。小金井に移住する前は、代々木にアトリエを構えていましたが、戦火で消失し、伝手をたどって辿り着いたのが小金井でした。小金井での新たな生活は順風満帆ではなかったようですが、最愛の妻・富子と緑豊かな環境で暮らすことは、中村に真の「豊かさ」とは何かを再確認させたようです。そのことは、花瓶に丁寧に活けられた花の作品を見ても、小さな野花のドローイングを見ても窺えます。
 花の可憐さ、美しさといった外見上の特徴に惹かれていたのはもちろんですが、中村の「花」作品からは、花の持つ生命力や、花の本質を描きだそうという試みを感じます。
 中村は、特にバラを愛しました。今回の展覧会では、念願のパリ留学中に描いた若き日のバラから人生の最期に描いたバラまで、中村の人生を彩ったバラが展示されます。
 バラ以外の花もとりどりに展示しますので、ぜひ「お気に入り」の一枚を見つけてください。


中村研一《花》1924年 油彩・カンヴァス
 こちらの《花》は、バラとアイリスと思しき花が活けてあるシンプルな静物画で、パリ留学中に描かれました。中村は1923年2月にロンドン丸で渡仏し、6年間パリで生活します。その間、フランス人画家モーリス・アスランと交流を深めますが、この《花》の抑えた色調、色の塗りや筆致、簡易化された花の形状からは、アスランからの強い影響が見て取れます。
 《花》が制作された同年の7月、中村の母・トメキが51歳で他界します。翌年1月、父・啓二郎も58歳で続けざまに亡くなります。アイリスの開花時期が4月から6月の初夏にかけてなので、もしかしたら、母の容態が芳しくないことを案じながら描いたのかもしれません。念願叶ってパリへと旅立ちましたが、留学中に両親を立て続けに亡くした中村研一。この作品もまた、人生の大きな転換期に描かれた花の一つと言えるでしょう。


中村研一《静物》1947年 油彩・カンヴァス
 この作品は、どこか異質な雰囲気が漂います。「きれい」「かわいい」というよりは、「へんてこ」という表現がしっくり来る、なんとも奇妙なチューリップの静物画です。赤、白、黄色のチューリップが1本ずつ活けられていますが、茎はうねり、画面に躍動感が生まれています。まるで、花たちに個々の人格があるようにさえ見えてこないでしょうか。
 そして、花はさることながら、花瓶として描かれているのは、中村自身が作った《備前紐付扁平壺蟹図》です。この壺が、この作品の「へんてこさ」を際立たせるアイテムとして機能しています。中村は、1940年代から、ほとんど独学で作陶を始めます。中村の花の絵には、個性的な壺が登場しますが、壺が花に負けないくらいの存在感で描かれている場合、中村の自作の壺であることがほとんどです。花も壺も両方見てほしいという中村の茶目っ気が見え隠れしています。
 今回、1階展示室では絵画を、2階展示室では陶芸作品を展示しています。中村の「花」作品を彩る多様な壺を探してみてください。


中村研一《バラ(絶筆)》1967年 油彩・カンヴァス
「よくなったら、バラの花をたくさん描くからね。」
 中村研一は、妻・富子にそう言い残し、胃がん治療のため、1967年に国立がんセンターに入院し、そこで亡くなります。人生のあらゆる局面で花を描いた中村が、最期に描いた油彩画はこの《バラ(絶筆)》でした。
 画業の初期、パリで自身のスタイルを手探りしていた頃の《花》(見どころ作品①)と比べると、完全に自身の画風を確立しており、「中村研一、ここにあり!」と言わんばかりの迫力のあるバラです。画家として生きた証をカンヴァスに焼き付けるように、最期の力を振り絞って描いているようです。
 残念ながら、「よくなる」という願いは叶わなかったものの、死が迫った状況下でも描き続けた中村の執念と情熱が、絶筆のバラには力強く表れています。本作品は、印刷物や画像だと、なかなか実物に近い色合いを再現できないので、ぜひ実物をご覧になってください。